しょせん金のために (2001/12/27)

営業マンに「営業マン」と言ったらブチギレされたことがある。
よっぽど 「営業マン」 という言葉が嫌いだったのだろうと思い、謝罪すると 「誤って済む問題じゃない」 などとヌカしやがった。
「自分は営業マンなどではない、相手のことを自分のことのように真剣に考えているから親身になれるし、
相手のために涙も流せるのだ…」というのがヤツの主張だった。
じゃあ、お前はボランティアなのか? 会社から金をもらっているんじゃないのか?
会社のために広報活動をして会社から金をもらってる奴は全て営業マンだ。営業を営業と言って何が悪い。
コイツ頭おかしいんじゃないかと思ったが、反論する気も失った。



結局は誰もが金のために働いている。
どんなキレイごとを言ってみたところでコレだけは否定できない。
イヤイヤ仕事をしてる奴もいれば、楽しみながら仕事をしてる奴と様々だが、金をもらうために働いている事は共通している。
儲けるために、利益を増やすために、自分の思いと違うことを強いられるのが普通だ。
金のことは関係なしに、やりたいことをやって思いのままに仕事してる人間は極少ない。
もうコレ以上金はいらない、というほどの大金持ちになって初めて、自分のやりたいことをやりたいように出来る。そんな気がする。

自分の内に秘める思いを日本中に(世界中に)訴えることができるミュージシャンでさえ、まずは売れなきゃならない。
まずは売れるために思いにフタをして売れそうな曲を作らなくてはいけない。
揺るぎ無い地位と金を手にした時に初めて本当に自分が作りたかった曲が作れる。
次の曲は全然売れなくても批判を浴びてもイイ、などとはよっぽどの大御所で無きゃ言えない。

警察や政治家の腐った体質を改善したいという熱い思いを持った青年がいたとしても、
彼が世の中を変えるためにはまずトップに登りつめなくてはいけない。
しかし真面目に庶民最優先でやっていたらトップには行けない。
出世するためにワナとも思えるクダラナイ取締りなどをやって得点を稼がなくてはいけない。
政治家とて同じ。汚いものをキレイにするために、汚いことをしなくてはいけない。 そういう矛盾が生じる。
彼らがトップにのぼりつめた頃には、今まで繰り返し積み上げてきたものが染み付いていて、改善熱などとっくに冷めているだろう。

日本は実にクダラナイ国だと思う。
個人が個人であることを認められるアメリカは、個人より集団優先の日本の考え方よりも実に合理的でさっぱりしている。
でも...じゃあアメリカが正しいのか...日本は間違っているのか...。

そうもいえない。

そもそも「正しい」事なんて無い。全ては多数決で決まるからだ。