人間は関心を持たれるために生きている (2002/1/15)

以前、「他人との比較ぬきに人間の存在は無い」っていう話をしましたけど、
他人から関心を持たれることって人間にとってすごーく重要で必要なことだと思うんですよね。

誰にだって 「自分は必要とされていない、役に立ってない」って感じる時の悲しさ、経験ありますよね。

いくつになっても怒られたら 「シュン」 となっちゃうじゃないですか。
それが例えケンカしたら絶対に勝てるような相手でも。
それは嫌われることへの恐怖心に他ならない。腕力で勝てたとしても 「嫌われる」のは怖いことなんですね。

そういう意味では「いじめ」って最悪ですよ。無視、無関心だけでも苦痛なのに、存在を拒否されるようなものなんですから。
自殺したくなる気持ちだってわかります。

自殺って苦痛から逃げるためのものが普通でしょうけど、みんなの関心が欲しくての自殺っていうのもあると思うんですよね。
死んだ人間の悪口は絶対に言わないし、多くの人に思い出してもらえるし、泣いてもらえるし、苦痛をわかってもらえるし...。
これって究極の関心じゃないですか。
死んじゃったらいくら関心もたれたって もう意味無いですけどね。

いつでも安定して関心が欲しい、っていう人間の基本的な欲求が人を結婚へと導くんじゃないでしょうか。
誰かの無二の存在になることは最大級の関心が安定して得られることを約束されるようなもの。
だから相手が浮気したら最大級の怒りと落胆を覚えるんですよ。

安定して関心を得たいがための結婚が、
時間と共に間違い無く関心が薄れていくという矛盾をはらんでいるのは悲しいところですが。

幸せとは関心を持たれること。
人間は他人からの関心が無いと生きていけないんです。