人間は関心を持たれるために生きている (その2) (2002/1/23)
人に喜ばれることをする、人として良いこと正しいことをすると、いい気分になるのも、自分が誰かにとって存在価値があることを認識したいという心理からだと思う。
人に認められたい、自分の存在に気付いて欲しい、という欲求を満たすために人間は行動する。
「気付いて欲しい」 とう部分ばかりが走って 「価値ある存在」であるかどうかの部分を見失ってるゆがんだ人間も多くいるが。
幼少期の男の子は、好きな女の子を逆にいじめてしまうものだが、
それは好きな人を前にした時のドキドキと、人を攻撃するときの心拍の上昇を勘違いするからだそうだ。
大人になってもそんな子供じみた勘違いをしてる奴も大勢いる。
基本的に人間の行動に100%「他人のために」 というものは無いと思っている。
自分の時間と労力と金を犠牲にして他人のために尽くしたとしても、
それとて自分の存在価値を認識したいという欲求が発端だからだ。
「その人の役に立ちたい」 という思いはその人のためじゃない。自分自身の欲求だ。
他人の命を救うために自分の命を捨てたとしても、
「その人に生き延びて欲しい」 という自分の欲求を満たすための行動だからだ。
だからってそれが不純な動機だと言うつもりは無い。
それでいいんだと思う。
人間は結局動物なのだから、自分の欲求を原動力として行動する。シンプルでいい。
そのシンプルな欲求が正しい方向で充足されればそれでいい。
あらゆる狂気だって、欲求はシンプルなのに 世の中が複雑だから過程も結果も複雑になってるだけだ。