本当に不幸なのか (2002/04/17)

貧しい国で必死に生きてる人達の映像を見て、悲惨だなとか、可哀相だなと思ってみても、
本当に彼らが不幸を感じているかといえば、それはどうかわからない。
周りがみんなそうだから、別にこれが普通と思ってるかもしれない。
むしろ、明日のことも分からないギリギリの環境で生活している人達の方が、今生きている喜びを強く感じているのかもしれない。

自分は不幸だなんて思ってみたりしたところで
所詮、日本人の感じる不幸なんて、世界レベルで見たら、ちゃんちゃらおかしいものなのかもしれない。

ただし、
やはり幸不幸の基準は身近な他人との比較だ。
「肉親や愛する人と死に別れる」などの一部の例外を除いて、これは断言できる。
幸不幸の基準が周りとの比較であるなら、他の環境にいる人間からみて不幸のレベルが低くても、苦痛のレベルは同じだ。

しかし、他人の人生を自分は経験したことが無いから、比較対象としては極めて不正確で曖昧だ。
幸せそうにしてる人が、成功しているように見える人が、本当に幸せで成功しているのかどうかなんて分からない。
そんな不正確な標本を基準に自分の幸不幸を計るなんて全く意味が無い。
無意識にそうしちゃうんだからこればっかりはどうしようもない。

他人の存在がまったく気にならないような、悟りを開いた孤高の存在に
なれるはずも無いし、なる必要もないのかもしれないけどね。