yaikoその2 (2003/2/4)
以前、矢井田 瞳を褒めちぎりましたが、
次のアルバムを聴いてあらためて感じた、第2弾です。
yaikoの曲の魅力のひとつに、攻撃的なほどの愛情の激しさや、現実を直視した退廃的なイメージがあると思うんですが、
自分が感動するのは、女性(というより女の子)としての純粋な感情の表現にあります。
(曲を聴いて涙を流したのはおそらく彼女の曲が最初で最後だったと思います)
いわゆる「ミリオンの時代」に突入してから、それ以前と比べて一つの楽曲の中の単語の数が倍になったそうです。
つまり現代の曲の多くは、単語がぎゅうぎゅうに詰め込まれた密度が高い早口ソングなわけです。
そうなると当然曲と詩の間に不協和が生じることが多くなってくるわけです。
現に詩と曲がお互いを無視して、それぞれが独走している曲も多くあります。
そういう表現方法をあえて狙って作られた曲もあるでしょうから、それがダメだという気は全く無いんですが。
楽曲の作り方は人それぞれあるんでしょうが、
yaikoの場合、詩に曲をつけるんじゃなくて、曲に詩をつけるんでも無くて、
詩とメロディーが同時に出てくるんじゃないでしょうか?
何故そう思うかというとですね、
yaikoの場合は口から詩と音楽が同時に発せられているかのような錯覚に陥ってしまうからなのです。
錯覚でしょうか…錯覚でしょうね…
他の人の曲を聞いていると、メロディーにのって歌っている、という感じなんですが、
yaikoの場合は、どちらにも主従関係が無いというか、詩と曲が溶け合っている。
いやむしろ、彼女の歌に音楽が引っ張られているような感じ。
すごく特殊な感性を持っているという気がします。