多分そういう時が来たんだと思う (2003/02/19)

おそらく誰にでも迷路に迷い込んだり、一箇所にとどまったまま動けなくなったり、大きく遠回りすることがある。
損だ。時間とエネルギーを消費しながら、全く前進していないからだ。

自分がドツボにはまってることは分かる。 脱出したくてもできない。 何故こんなに遠回りする必要があるのか。
でも人それぞれに「時」というものがあって、自分には遠回りする時期が確かにあって、
脱出するのももっと以前ではなく、今が自分にとっての「時」なのだと理解するしかない。

軽くなる気配を見せない苦痛、時間が癒してはくれない傷というものがある。

早く、早く…そう自分自身に念じながら…でも終わりは見えない。

解放は徐々にではなく、スイッチを切り替えるように。
何故? わからない。
多分そういう時が来たんだと思う。


「長かった」っていう言葉は終わったから、あるいは終りが見えたから言える言葉だ。
そもそも長いとか短いとかいう言葉を使うはずではなかった。
終りは無いと思っていたから。

じゃあ今、何故そういえるのか、何がきっかけなのか。
わからない。
多分そういう時が来たんだと思う。