死ぬのがイヤなら死ぬしかない (その1) (2003/05/15)

日本を代表するGPレーサーの一人である加藤大治郎がレース中の事故で帰らぬ人となった。
20代半ばという若さ。妻子を残して。しかも子供は生まれたばかり。
こんな悲しいことがあっていいのかと思う。

こういうことがあると、命を懸けるスポーツというものの存在意義を疑問視したくなる。
もちろん命を懸けることを競っているわけではないが、
一歩間違えると死に直結するスポーツ、競技はあっていいのか?

バイクレース、カーレース、アクロバット飛行、スカイダイビング、雪山登山...

いや、でもそんなことを言っていたら何もできなくなる...
いやいや、頑張れば頑張るほど死に近づく、そんな極限状態で争うこと自体が問題なのだ...
いやいやいや、生きていること自体が危険と隣りあわせではないか...


何を言ってみたところで、結局 今やっていることを人間は やめない。
時々「怖いな」と思っても やめない。
現実問題として 「死」 をほとんど意識していないからだ。

誰だって死ぬつもりでスポーツをしてはいない。
誰だって死ぬつもりで車で出かけたりしない。
誰だっていつもの事を いつものようにして、日常の中で あるとき突然死ぬのだ。

それがイヤなら生きていられない。つまり生きていることそのものが死を意味する。
死ぬのがイヤなら死ぬしかない。