本物より素晴らしいものはあるのか (2003/11/19)
つい最近、世の中には 「スーパーオーディオCD」なるものが存在することをテレビで知った。
既に誕生から4年経ってるらしい。
中学1年の時、それまで高嶺の花だったCDプレーヤーが10万円を切った普及型で登場し、
SONYが市内のホテルで開催した、CD+平面スピーカーの視聴会に
多くの背広の大人に混じって出席した事があった。
そんなオーディオ大好き人間だった自分もすっかり
うとくなってしまったな。
この新規格のCD、詳しいことはよくわからないが、とにかく従来のものよりも音質がよく、記録時間も長いらしい。
まあ、記録時間が長くなるのは当然と言うか、正常進化なのだろうし、これからも新しいメディアが生まれるたびにどんどん伸びていくだろう。
最終的には円盤状のものは無くなって全てメモリーチップになるはず。
円盤をグルグルまわすことによって再生するという方式自体が前時代的という気がする。
穴だらけのメディアであるカセットテープは
ほぼ絶滅したものの、CDもDVDも「モーター」を必要とする時点で古いメディアの仲間から脱していないと言える。
CDやDVDなどのデジタルメディアは映像や音声の質が半永久的というが、
あれほどデリケートな記録面に傷をつけずに保存しなければいけないというほぼ不可能に近い条件付だ。
さて、記録時間の延長はよいとして、音質の更なる向上という部分は正直 「?」 と思った。
CD、更にはDVDの音質で既に完璧に近いのではないか?そこから更に上というのはどういうことなのだ?
そもそも音質がよいというのはどういうことか。
オーディオメディアが常に目指してきたことは原音を如何に忠実に再現するかにあったわけで、
究極はやはり生。つまりライブ。よりライブに近づけることが音質の向上であるはず。
これが終着点であるはずで、それ以上というのは無いというか、あってはいけないというか...。
もし原音以上のものがあったとしたら、「本物以上」つまりそれは「ニセモノ」ということになる。
完璧に限りなく近いところにいるはずの現在の技術が
今突入しようとしているのは、もしかしたら本物以上、つまり「虚構の世界」の領域なのかも。
でもライブ(原音)と言ったって、聴こえ方は場所によっても変わってくるものだし、
コンサートホールというのは形から素材まで、臨場感があふれるような聴こえ方をする構造になっているわけで、
それも造られたものと言ってしまえばそれまで。
マイクもスピーカーも通さない、直接近くで聴く歌声や楽器だって気温や湿度によって変化するのだろうから、
結局、はじめから「本物」なんてものは無くて、
音質の向上というのは、つまりは如何に人間に心地よく聴こえる音を
「作り出す」か ということなのかもしれないね。