愛する気持ちはリスキーだ (2004/10/17)

愛する気持ちって やっぱり特殊だ。

人間は多かれ少なかれ、自分の心底を見られたくないって思う部分がある。
考えてることを知られたくない。本当の自分を見せたくない。
だから自分の感情を顔に出さないようにしたり、自分の行動や生き方に上手な言い訳をつけたりする。

でも…愛する気持ちに言い訳はつけられない。 ごまかすことも、後から訂正することも出来ない。
愛したその瞬間の気持ちは気の迷いでなんかありえない。 絶対に否定できない。

人間の一番奥底にあって熱してる、奥底であるがゆえに他人には一番見られたくない部分。
愛していることを知られるのは、心の一番奥に隠しておいたものを見られること。
それは自分の弱みをさらけ出すようなもの。
丸裸にされるようなものだ。

丸裸にされ(あるいは自ら丸裸になり) その裸の自分を受け入れてもらえなかった時の自分を恥じる気持ちは だから大きい。
愛することは (たとえそれが相手にとってどうでもいいことだったとしても) 恥じることではないと信じたい。

でもそれを信じるのは難しい。

自分の一部分を否定されるよりも 自分という人間そのものを否定される方が遥かにキツいからだ。
身につけている服や時計を否定されるよりも 丸裸の自分を否定される方が遥かにキツいからだ。

愛する気持ちなんて持ちたくないと思っても、意に反して持ってしまう。
捨ててしまいたいって思っても捨てられない。
深い傷を負う可能性が非常に高い。
愛する気持ちはリスキーだ。

何故人間はこんなリスキーな感情を、懲りずに繰り返し持ってしまうんだろう。

愛する気持ちは一番奥底。 つまりそれは自分自身。
自分の生きている意味そのもの。