現実だけど非現実 (2006/2/26)

沢山の雄大で美しい風景写真を見ながら ふと疑問に思った。
これらの写真は現実の風景なのか?…と。

雄大な風景の全景を捕らえるためにはどうしても空撮写真が多くなる。
でもそれは当然、人間が普段の目線で見れる風景ではないわけだ。
山に登って見える風景なら分かる。
でも本来 空を飛べない人間が 飛行機からの写真を見て それを現実の風景と捉えていいものだろうか。

確かにそこに存在するもの。 しかし現実の風景とはいえないものってあるよね。

「顕微鏡で見たミクロの世界」みたいな写真集ってあるじゃない。
普段目にしてるものを、何百倍に拡大して見ると こんな不思議な世界なんですよ、というアレ。
へ~!スゴ~イ! とは思うけど、 これが現実なんですよと言われてもピンと来ない。
普段自分たちの目で見えるものこそが現実であって、道具や機械を使った特殊な視点で見たものは 現実とは言えないんじゃないか?

宇宙から見た地球の写真を見て、これが現実なのだと言われてもピンと来ない。
我々が生活している地球は青く光り輝いているか? いや、茶や緑や灰色だ。
我々にとっては それこそが現実であって 宇宙から見たら地球が青いという事は関係が無い。
地べたに張り付いて生きている人間にとって それは非現実の世界なワケだ。

現実だけど非現実。

自分の目で見たときに初めて 非現実の世界が身近になり、感動できる。
顕微鏡を覗いてビックリして、肉眼で見直して「えっこれが?」って思った時に 初めて非現実だったものが現実味を帯び、感動できる。
スペースシャトルに乗って、離れ行く地球を見て、そして青く光り輝く様を見て 初めて非現実だったものが現実味を帯び、感動できる。
写真だけ見てる間はそれは非現実そのもの。フィクションを見てるようなものだ。

逆に言えば、非現実だからこそ それを現実として垣間見るときに 感動できるのだ。
その非現実を見るために人間は新しい技術を開発してきたといっても過言ではない。
見たことないものを見たい、知らなかった事を知りたい、それらの欲求が新しい技術を生んでいったといっても過言ではない。
宇宙船や飛行機や潜水具や顕微鏡…道具を手に入れる事によって 人間は新しい視点を手に入れ、新しい感動を体験できるようになったのだ。