安全こそ最高のテクニック(その2)「恐怖心」 (2006/9/21)
「安全こそ最高のテクニック」 は正しい。
でも、 「事故に遭ってないのだから今の自分はこれで大丈夫」と勘違いをしてはいけない。
技術が高いから事故に遭わないのではない。
なんでもかんでも「ゆっくり走りましょう」というつもりは無い。 バイクなんだからたまにはスピードも出したいだろう。
でも例えば同じ 「飛ばす」 にしても上手い下手がある。
他の車にブレーキを踏ませず、周りの秩序を乱さずに飛ばす事が出来る人もいれば、 「目障りな飛ばし方」をするヤツもいる。
安全でなめらかな走りをするためには 「キャリア」ともう一つ、「どれだけ周りが見えているか」。
周りが見えてる人は、周囲にセンサーが伸びていて 自分の前後数台にどんな車がいるのかが分かって走っている。
「コイツは前しか見てないからバイクに気付いてないかもしれない」...「あいつはウインカー出さないで急に車線変更しそうだ」...
「2台後ろにいる車は追い越したがってる」...「前の車は目的地が近くてそろそろどこかで曲がりそうだ」...
もちろん全部当たるわけではない。 でも普段から「動きを読む」訓練をしていれば 段々分かるようになってくる。
自分の動きだけでなく周りの動きも含めた走りの組み立てが出来る。
自分の事しか考えてない走りが 結果「目障りな運転」になるわけだ。
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自分はここしばらく、バイクで怖い思いをしていない。
それゆえ安全に対する気持ちの引き締めが少々緩んでいるような気がするから、時々自分を戒める。
ただ、基本的に自分は飛ばすのが好きではない。
飛ばす事はあるし、疲れている時は早く帰りたくて運転が荒くなる事もある。
でもそういう時は例外なく家に帰ってからの後味が悪い。
飛ばす事は刺激的ではあるのだが、どーにも後味が悪くて楽しくないのだ。
だから実際に飛ばしているときは何とも思っていなくても、「これは危険だ」 「これは迷惑をかけている」という情報が潜在意識の中にインプットされていて
家に帰ってホッと一息ついた時に、蓄積された情報がジワジワとアウトプットされてくるのかもしれない。
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もう随分昔の話だが、ライディングテクニックに熱心なあるバイク雑誌の読者欄に
「コーナーが怖いのですが、どうすれば恐怖心無くコーナリングできるんでしょうか」という質問が載っていた。
当時の自分にも全く同じ悩みがあったので注目した。 それに対する回答はこうだった。
「恐怖心があるんですか、それは良かったですね」
恐怖心は身を守るために人間に備わった特質であり、それが無いと逆に大変。あなたは正常ですよ。 というような内容だった。
当時の自分にとっては期待した回答ではなかったため、なんだか肩透かしをくらったような欲求不満が残ったのだが、
今の自分にはそれが本当に良く理解できる。
「安全こそ最高のテクニック」
しかし どんなに高度な技術と豊富な経験を持っていても事故には遭うし、未熟でもに事故に遭わない人もいる。
はっきり言って多くの部分は運に支配される。だから少しでも危険要素から遠ざかり、事故の可能性を減らす。それこそがテクニック。
そのために理性や判断力だけでなく恐怖心が役に立っている。
恐怖心が、これ以上先の領域に行ってはいけませんと教えてくれるわけだ。
恐怖心がある人間は正常。
自分はこれだけスピードを出しても怖くない、こんな無茶な運転しても怖くない、という人は
一度、人間が本来持っているはずの自己防衛機能が欠落して無いか、自分を疑ってみるのがいい。