バイクに関する規制の功罪(その4)(2006/11/15)

騒音規制についても一言。
現代のマフラー騒音規制は はっきり言って 行き過ぎの所まで行ってしまった。
ノーマルマフラーも、車検対応社外マフラーも、音量が低すぎる。これは明らかにやりすぎだ。

ノーマルマフラーの排気音はタイヤなどから来る走行騒音を下回りそうな勢いだ。 これ以上音を下げる事に何の意味があるんだ?
これは既に「騒音問題」とは別のところにある。
現実を見てない「決めた目標値を達成するため」だけの闇雲な規制強化としか思えない。

排気音を下げる努力が企業に必要である事は当然。
しかし、必要以上にやらされる事がどれほどのムダを生んでいるか。
この過剰とも言える目標達成のために、企業がどれほどお金と資源をつぎ込んでいるのか。

教習所が、周りが全く見えておらず状況判断が出来ないバカなドライバーにじゃんじゃん免許を与えて路上に放り出している現状が続く以上、
二輪車の安全のために ある程度の音量が必要だ。
このことを論点のすり替えだというヤツがいるかもしれないが、違う。
現実にそぐわない「矛盾」というものが確かに存在するからだ。

教習所の生徒達は全くお遊び感覚で真剣味のカケラも無い。 テキトーにやっても免許がもらえるからだ。
合格率10%以下という国家資格はザラだ。 難しいからみんな必死に努力するのだ。
しかし人の命を左右しかねない「運転免許」という国家資格が、花咲じじいのようにばらまかれているのは何故だ?
(しかし、こと金銭面においては非常に厳しい)
高額投資の対価として得られる教習内容はゆるゆるうんちのようだ。 あんな教習じゃ、おとぎの国でしか運転はできん。
これは教習所が悪いのではない。 道路交通法があまりに馬鹿げているのだ。

何故馬鹿げているのか
法律を改正する人間(正確に言うと彼らは「法律を改悪する人間、または何もしない人間」なのだが...)が、
机の上だけで法律を考えているからだ。

そしてその馬鹿げたキレイ事を前提に道路が作られる。