運命は自分で決める (2006/11/29)
「運命」という言葉は いい意味で使う。 素敵な人と出会ったときに「運命の人」という。
「運命」という言葉は悪い意味でも使う。 不幸な事があったときに「こうなる運命だったんだ」という。
「運命の人」と結ばれなかったとするならば、
それは「運命の人と結ばれなかった」のか?
それとも「その人は運命の人ではなかった」のか?
運命とは自分の意思や希望の力では変えられない、何か他の力によって決められた自分の人生だ。
本当に運命なんてものがあるのなら、「運命の人と結ばれない」なんて事はありえない。
矛盾だ。 そんなものは運命でもなんでもない。
運命からは逃れられないはず。 運命は絶対的なものだ。 そもそも絶対的でなければそれは運命とは言わない。
じゃあ自分の運命はどうすれば判別できるのだ?
できない。
自分の運命は死ぬ時まで分からない。
死ぬ間際になってようやく、あの時の 「あの人」 「あの出来事」 「あの結果」 は 「運命」だったのだと分かる。
確定していない未知の要素が少しでも残されている場合は「運命」など分からない。
そういう意味では死ぬ5分前ですら、自分の運命は確定できない。
だとするならば、何があってもそれは自暴自棄になる理由にはなり得ないとも言える。
だって、それが自分の人生において 結果良いものか悪いものか その時点では絶対に分からないのだから。
逆に言えば、
分からないのであれば 運命は自分で決めてもいいとも言える。
自分の選択を信じて、それを運命と思い込む。
結婚した人は、今現在 不仲で 一緒にいるのも顔を見るのもイヤになっていたら
「この人は運命の人ではない、自分は運命の人と結ばれなかった不幸な人間だ。 早く別れて運命の人をさがさなきゃ」と思うことも出来るし
「この人は運命の人なのだから、絶対に幸せになる道があるはず」って思う事もできる。
どっちの考え方が正しいなどとは言わない。
どっちでもいい。 そう信じる事ができるのであれば。
そして自分の信じた事が正しかったかどうかは、 死ぬ間際まで分からない。