ハイパワー論 (2007/1/18)

年々パワーアップされてきたバイクの世界にも馬力規制が入るという噂がある。
自分は規制に特別反対はしない。
「それじゃ寂しい、つまらない」 という人もいっぱいいると思う。
そりゃ自分だって、つまらないと思う気持ちも無いわけではない。
ニューモデル情報はワクワクするし、「○○馬力だって!すんげぇー!」って盛り上がるのも楽しい。
でも「すんげぇ」から買うのか、と言ったら買わない。
ただ、「すんげぇー!」と言いたいのだ。 だからそれが言えなくなるのは寂しい、という程度だ。

ハイパワーのための開発はもうこの辺でいいと思う。
これからはその素晴らしい技術力を違う方向に向けて欲しいと思う。
例えば燃費。
バイクの燃費はもっともっと良くていいはず。
リッター50km走っても実用車的な面白くないエンジンになっちゃ意味無いけど、
非現実的な”超”高回転を少し削って、低速~高速の瞬発力と面白さをそのままに、リッター30kmくらいは実現できるはず。
これはハイパワーエンジンをディチューンして穏やかにしたって実現しない。
バイクの世界でまず燃費を第一目標に開発されたエンジンって例が無いと思う。
10年前までは夢物語のような軽さも現実となったが、それだって速さとは違った方向で役立てられるはず。

最新のハイパワースポーツに乗ると、すさまじいパワーに感動するとともに、
「これだけ凶暴なパワーを一体どこで使うんだ?」と思う。
こういう事を言うと 「なーにを言っておるのだ、コレコレこういう場面で使えるじゃないか!」と反論する人がいるだろう。
そう、 その通り。 使える。 使えるのだ。 だから問題なのだ。
人間は あると使ってしまう生き物なのだ。

自分のバイクは基本設計が40年前というシーラカンスのようなエンジンを積んでるのだが、これが全く十分なのだ。
最新バイクに乗った後に乗ると、「コイツ遅っせぇなぁ~」って思うけど、それは不満ではなく笑顔で出てくるセリフだ。

余計なものを持ってるからつい使っちゃうだけであって、無ければ無いで、持ってるものの範囲で十分幸せを感じられるものなのだ。