全て生きている…のかも(その2) 魂の遺伝子は継承する (2007/9/21)

「生きてる」 「生きてない」って何を基準に区別されるんだろうね。
心臓があるか無いか? 動くか動かないか? しゃべるかしゃべらないか? 心、感情があるか無いか?
なんだかどれも違うような気がするよね。
「生きてる」って何?
こうやって考えてみると、生きてる生きてないの基準ってあいまいで、誰にも断定できないんじゃないか?

人間は生きてる。 ボールペンは生きてない。 植物は生きてる。 岩は生きてない。 これ常識。
でもそれって本当かな?
植物は心臓も無いし、しゃべらない。でも生きてるっていうのはみんな経験的に知ってる。
人間や動物みたいに目に見えるスピードでは動いてないけど、週単位、月単位で 成長し、衰弱し、そして死ぬ、っていうのを知ってるからだよね。
でも初めて植物を見た人は、これが生きてるなんて信じないかもしれない。 「しゃべらないじゃん、動かないじゃん」って。

それと同じで、ボールペンの息遣いを知らないから「生きてない」って思ってるだけかもしれない。
ボールペンも もしかしたら成長、衰弱してるのかもしれないよ。
それが例えば100年とかそういう長いスパンだから気付かないだけで、実は成長していってるのかもしれない。

100年かけてボールペンを見続けた人がいたら、
「お前も50年前に比べたら大きくなったなぁ」とか「100年前から比べるとすっかり元気なくなったなぁ」とか
そういうのが分かるのかも。
そしていつか「ボールペンが死ぬ」瞬間も見るのかもしれない。

質量保存の法則って知ってるでしょ?
物質が燃えようが腐ろうが、姿かたちが変わるだけで、変化したモノをかき集めれば質量は変わってないっていう法則ね。
それみたいに、燃えたり腐ったり死んだりしても、姿が変わるだけで、何も無くなってない、
変化こそすれ、この地球から何かが「無くなる」という事は有り得ないのかも。

命もそう。 「体が死んでも魂は無くならず、霊としてその辺をさまよう」っていうよくある考え方じゃなくて、
「生きていた頃の魂の個性や特徴やエネルギーが姿を変えながら継承される」っていう考え方。
 
動物に食べられた植物のエネルギーは、動物の体内で生き続け、
その動物が死んで土に返っても、「動物の魂の遺伝子」も「植物の魂の遺伝子」も一緒に土に溶け込む。
大地の栄養分が植物を育て、その植物を動物や人間が食べたら大地に溶け込んでいた魂の遺伝子も一緒に体内に取り込まれる。
そうやって永遠に魂の遺伝子は 足されたり引かれたり変化しながらも継承され続ける。
なんだか有り得そうな気がするでしょ?

ボールペンはプラスチックで出来てる。プラスチックは原油から作られてる。
原油は何かっていうと、動植物の死骸が堆積したものが何億年かけて変化したものでしょ?
つまり原油は元々は生きていたわけ。 じゃあその中に魂の遺伝子は生き続けてるかもしれない。そうでしょ?

そうすると、プラスチック製のものも、木製のものも、金属製のものも...全部魂が宿ってるかもしれないっていう考えに行き着くわけ。
どう? そう考えると面白いでしょ?
ボールペンも車も家も道路も...全てが生きてるって言えちゃうわけ。

そういう考えに達してしまうと、ライフスタイルすら変わってくると思うよ。