死刑論 (2012/04/30)

日本の裁判は犯罪者に対して寛容すぎる。 殺された者よりも殺した者の命を尊重する傾向にある。…ってことを以前に書いた。

死刑の是非に関しては議論があるけど、自分は当然死刑は必要だと思っている。
他人の命を奪ったのだから、命をもって償う。 ごく当然のことだと思う。

「目には目を 歯には歯を」 これは野蛮な考え方なのかもしれないけど、
自分は基本的にはこの考え方がベースであるべきだと思っている。

日本の裁判では、殺した人数が1人の場合、死刑になる事はほとんどない。
これこそが 「被害者の命よりも加害者の命が尊重されている」 ことの現われだと思う。

死刑囚を絞首台で絞め殺しても、被害者が浮かばれるわけでもないし、遺族が癒されるわけでもない。 そこからは何も生まれない。
ただ、「命をもってつぐなう」という言葉を、「犯罪者の命を奪う」 という意味ではなく、「他の人の命を救う」 という解釈だってできるはず。


例えば…
災害の現場で、救助を求めている人がいる。 でもそこに救助に行くのは危険すぎる。
救助に行った人もろとも死んでしまう可能性が高い。という場面で、死刑囚に救助に行かせる。
そうやって、自分の命を犠牲にする覚悟で、他人の命を助ける。 他人の命を救う為に自分の命を賭ける。
これは「命をもって償う」ことになるんじゃないか?

救助に失敗して2人とも死んでしまったとしても、救助に行けずに手をこまねいて見ている事しかできずに要救助者を死なせるよりも遥かにマシ。
助ける為の最大限の努力はしたといえる。
更に救助に向かった死刑囚は、元々死刑になる身だったのだから、ただ首絞められて殺されるよりは、意味のある死に方になる。

もし救助ができれば、誰かを殺してしまったけど、違う誰かの命を救った。
そこで初めて死刑を免れて、無期懲役か懲役30年あたりまで減刑される。
2人殺したのであれば、2人の命を救って初めて死刑を免れる。

これが「命をもって償う」の正しい解釈だと思う。
こういう形でもって初めて死刑を無くすことが出来る。
どう? すごく正しい考え方なんじゃないかって思ってるんだけど。


こういう形がとれないのであれば、やっぱり死刑は必要であり、
殺した人数が一人であっても、やはり彼は死刑という形で「命をもって償う」必要があると思う。